夏目漱石(なつめ そうせき)は、日本の代表的な作家であり、1984年から2007年まで千円札の肖像画をつとめました。
幼少期 | 1867年 | (0歳) | 現在の東京都にて生まれる。「漱石」は後から名乗った名前で、本名は「夏目金之助」という。 |
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1868年 | (1歳) | 父親の知人であった塩原昌之助の養子となり、塩原金之助と名乗る。 | |
1876年 | (9歳) | 養父母の離婚により、夏目家に戻る。 | |
10代~ | 1879年 | (12歳) | 東京にあった第一中学校正則科に入学する。以後、英語を学ぶために学校を転々としています。 |
1884年 | (17歳) | 大学予備門(後の第一高等学校)に入学する。 1889年頃から、俳句を作ったことで知られる正岡子規と交流を開始しています。 |
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20代~ | 1890年 | (23歳) | 帝国大学(後の東京帝国大学)の英文科に入学して英語を学ぶ。 当時の漱石の英語の成績は、とても優れていたと言われています。 |
1893年 | (26歳) | 帝国大学卒業。学校の先生になる。 | |
30代~ | 1900年 | (33歳) | イギリスに留学する。 |
1905年 | (38歳) | 処女作『吾輩は猫である』を発表する。 | |
1906年 | (39歳) | 代表作となる『坊っちゃん』を発表。 | |
40代~ | 1907年 | (40歳) | 東京朝日新聞に入社。職業作家となる。 |
その後も『虞美人草』や『三四郎』といった名作が大ヒット。しかし漱石は若いころから体が弱く、1910年にはストレスから胃潰瘍になります。その後も病気に悩みつつ、『こころ』などの名作を立て続けに発表します。 | |||
1916年 | (49歳) | 胃潰瘍のため亡くなる。 漱石の死により、連載小説『明暗』は未完成のまま終了する。 |
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没後 | 1984年 | 日本銀行券 千円札の肖像として採用される。 |
現在は、代表作「こころ」にも登場する東京都豊島区・雑司ヶ谷霊園に埋葬されています。
夏目漱石が職業作家として活躍した時期は、わずか10年であることがわかります。
その10年の間に名作を次々と書き上げた漱石は、とても優秀な人だったのでしょう。
そんな夏目漱石の代表作には、いったいどのようなものがあるのでしょうか。
夏目漱石は『吾輩は猫である』『坊っちゃん』といったユーモアあふれる作品を生み出した作家であると同時に、現在の東京大学を卒業したエリートでもありました。
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